2008年08月10日

人の影響力。


『いまの私は、友達と読んだ本達によって出来ている。
お母さんに(中身を)育ててもらったとは思っていない。』


コレ、生意気でしょう?
中2の夏のこと。もちろん母親とのケンカの末の捨て台詞。

小学生時代、運動オンチで成績もほんっと~に平均。
勉強のことで父親からは怒られっぱなし、
たまに良い点を取って母親に最初に見せても無表情&無言。

小学5、6年生になると「私は中学生になったら思う存分じぶんのやりたいことをやるっ!!」と
決めて卒業の日を待ちました。

出会う人みんなと打ち解けて話したいし
やるべきこと(ココは勉強以外だけどさ、例えば学校のイベント)は全力でやろうと決めていて。
実際にそうやって3年間過ごしてきました。

悩みもあるけど、楽しい中学時代を送っていて
友達との会話で「けいちゅんに話せて良かった~」とか
よく出てくるじゃないですか。友達との熱い(?)友情^^

私はその時に初めて「生きている」と感じたんだよね、
自分の存在が充実感で満たされるのをおぼえた。
家では長女なのにきょうだいからは頼りにされず、(口うるさいだけだったから当然かも)
親にも認めてもらえず
自分って何なんだろう? って思ったりもしていたはずなんだけど。

そんな時に元気をくれたのは笑い合った友達だし、本でした。

で、1番上に書いた文章にもどるわけです。

あの言葉は、母を傷つけてしまったんじゃないかと思うんだけど
(しかし大人になって尋ねたら覚えてなかった様子・・・)
いま、あの言葉は生きることを的確に表現している気がしてならない。

友達とか出会う人によって
そして受ける言葉、拾った言葉によって
自分という人間は出来ていく。成長もすることが出来る。

先の手紙屋ブログを10通すべて読んで
いろいろ感じたことはあったのだけど、1番に思い出したのはこのことだな。


そうそう、余談なんだけど。
大ッキライだった体育。
中学のときの体育の先生(女)に出会って、キライじゃなくなったんだ。

運動能力がメキメキ上がったわけじゃなかったけれど、
短距離とか平均くらいまでタイムも縮んだし(それまで、クラスでビリ)
泳げなかったプールも恐怖と嫌悪感は消えたし、何より自分の人生のなかで
体育がキライだったのが、そうでもない・・・に変化したことの喜びったら・・・♪

その先生は欠点を教えるのではなく
楽しさを教えてくれる先生だったように覚えている。

運動はダメだけどせめて筆記のテストでは良い点とろうと
(好きなその先生のため)
保健体育はかなり頑張ったもんなぁ~。筆記はいつも高得点だったよ、ホントに。
中3のときは100点とった・・・ハズ(でもクラスにも何人かいたハズ、簡単だったんだねそのテスト)。

最近そのことも思い出したりしたの。

人の影響力ってスゴイよね、改めて思ったよ。



Posted by けいちゅん at 09:22│Comments(2)*つぶやき
この記事へのコメント
おひさ!
けいちゅんちゃんのブログ読んで、私も昔を思い出して
ぷって笑ってしまった。

私は、大学時代に親を客観的に見始めたころ、
色々思ったりしてたなぁ。
今、自分が親になってから、感じることも色々で。

最近、しみじみ思うのは、親も一人の人間で、
友達や通りすがりの人、出会う人すべてと
同じなんだな、って。
だからこそ、たまたまお近づきになれた親と、
時間を分かち合うことは、これまた貴重なんだな、と。

自分も、自分の子ども達と出会えたことに、
ありがとうを忘れないようにしなきゃ、と、再確認させてもらいました。
ありがとう、けいちゅんちゃん(^^)
Posted by はぢめはぢめ at 2008年08月10日 11:52
*はぢめさんへ

>親も一人の人間で、
>友達や通りすがりの人、出会う人すべてと
>同じなんだな、って。

う~ん、ホントそうかも♪ですね^^

突き詰めれば
偶然の上に重なっている現実ですもんね。
今思えばなんであんなまで親を否定していたのか・・・と
思うこともあったりするのですが
(そのエネルギーを別のものに向けたかった)

やっぱりそこを通過したからこそ
見えたことってたくさんあるし
回り道はしても、学んだこととか親への感謝とか
たくさんありますもん。

こちらこそありがと~です。
なんか、気持ちがほっこりしましたぁ♪
Posted by けいちゅんけいちゅん at 2008年08月10日 15:36